指五本の巻。
■ と、先の本から連想を広げる。。
つまり男性のマスターベーションのことを指す訳だが、それは何処となくナサケナイこととして描かれている。
「私は江戸川柳の研究書をつくろうとしているわけではないので、分からないことはそのままにするつもりだが、考えるだけはしてみよう」
と、投げやりな姿勢であちこち連想が飛んでいるのであるが、簡単に流れを説明してみる。
江戸時代の川柳には、男性のマスターベーションの話は出てこない。
それは何故かと言うと、男子のコケンにかかわるからだ、と言い切るとあちこち矛盾が出てくる。
例えば、さまざまな器具を使うのは良くて、ある時は誇らしく、毎回死にそうになるほどである、とある。
「では、なぜ器具は許され、手は男としてナサケナイのか」
と、吉行氏は提起されているのだが、「江戸の前近代性」ということを軸として話があちこちに飛ぶ。
■ ま、どうでもいいのであって、実際に本を手に取って配偶者の寝た日曜の夜などにちびちび読んで戴きたい。
何が言いたいかというと、男というのは妄想の生き物で、しかもその妄想は独立した人格を持っているのだなあ、ということなんである。